Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会

肥沼信次の偉業を伝える会の活動

 ドイツのヴリーツェン市の人々は、戦後の混乱の中、自身の身の危険も顧みず、乏しい医薬品の調達から、食料の調達まで、献身的に尽くしてくれたドクター肥沼を今も語り継ぎ、毎年慰霊祭を行っている。
 ベルリンの壁が崩壊後ようやくご家族にもこの知らせが届き、"日本の桜が見たい"と云って亡くなられたお兄さんを偲んで、弟さんが桜を植えられ、せめてもの慰めとなっている。

 今年の慰霊祭には、八王子市長を通じて母校の第3小学校の生徒さんや、会員、この偉業に感銘した人々からの千羽鶴が贈られ、ヴリーツェンの市長から届いた写真です。
2月14日
10年前に肥沼信次を知り、ヴリーツェンの墓参に行ったメンバーが、どうしてもこの偉業を八王子でも称え、又、後世に残し、語り継がなくてはとの思いがボランティアネットワークのメンバーにも浸透し、会を持った。
 行政の協力も頂き労政会館に於いて講演会を開催する事が出来、代表の熱い思いを伝えることが出来た。
 2月、労政会館に大勢の方がお集まりくださった。
 肥沼家のご遺族の方々も駆けつけてくださり、多くの方が忘れずに居てくれたことに感動して帰られた。
「大戦菱秘史リーツェンの桜」
   貢次舘澤著
「肥沼信次」文 舘澤貢次
      絵 加古里子
「ヴリーツェンの風の中で」
      文 なかむらちゑ
      絵 安藤香子 
 母校である第3小学校に、出来立ての絵本を40冊寄贈。
校長先生から、今後、6年生を対象に肥沼の偉業を考える授業を取り入れることを熱く語ってくださった。
 これからの活動として、偉業を伝える手段の提案をいただき、ご協力を得るため、市内の多方面でご活躍で、関心を持っていただいた方々にお集まりいただき、話し合う。大変有意義な会となった。
 ベルリンの壁が崩壊するまで、ご家族にも消息がわからず、ご両親は、この偉業、そしてご自身もチフスに侵され37歳の若さでこの世を去られたことも知らずに、亡くなられている。
 その後、弟さんによって肥沼家の墓碑に信次の名が書き加え
られたそうです。
(肥沼家の墓・八王子市緑町)
 自身もチフスに侵されたが、薬は、他の患者に!と云って数人の看護婦に見守られて世を去られた。と今もDr.肥沼に命を救われたと高齢のヴリーツェン市民は感謝しているそうです。
 命日に墓参しました。
 
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